僕がその高校に行ったのは秋から冬へと移る頃だった。朝の電車、停車して扉が開くたびに寒くて震えていたことを覚えています。
高校の名前は都岡高校。僕の母校です。現在は統廃合により校舎は残っているものの、その名前を横浜旭陵高校と変えています。
坂の上にある学校で、グラウンドは1周300m、投擲のサークルが2ヶ所あり、エイト場もある。投擲競技者には(もちろん他の競技種目にとっても)たまらない練習環境です。強くなれる材料はたくさんありました。
そんな環境にも関わらず、僕は陸上にそれほど興味はなく、高校ではバンドを組んでライブをしたいと考えていたわけです(当時はGlayに憧れていた少年でした)。
何度か練習に参加しましたが、やはりバンド活動への興味が勝っていたのです。しかし、ある夜、当時都岡高校教諭の黒岩先生からの電話で、僕は都岡高校へ進学することを決意する。その決断がそれからの人生に影響を与えるとは思いもよらず。人の一生なんて案外、簡単に決まるのかもしれません。
初年度のシーズンは違いましたが、入学後、最初の冬から卒業まで陸上競技に熱中することになります。踏切板から砂場まで11mの距離を、3歩で入るか入らないかの選手が、15m50を超える選手になったのは、跳ぶために必要な何かをなんとなく分かっていて、それを用いて当時の自分の可能性を伸ばせるだけ伸ばしたから。もちろん、人より練習はしました。
どこまで跳べるのか、自分の身体を使って挑戦した毎日。それが結果となって現れることが楽しかった。バイトしたり、バンド組んだり、遊びに行ったりはなかなか出来なかったけど、僕の高校生活は十分しあわせでした。
高校卒業後も僕はまだ跳んでいます。高校時代のように記録が簡単に伸びていないけど、変わらずに自分の可能性を信じて競技生活を送っています。
進路を決めるための選択が、自分の人生に大きな影響を与えてくれました。その選択が正しいかどうかなんて分からないけど、今感じることは、あのグラウンドで一人可能性を追求して走りまわった日々が僕の財産だということ。そしてそれが今の僕を支える原動力です。
母校が与えてくれたものはかくも大きいものでした。
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さすらいの韋駄天さん
北海道はこの時期でも、20度台前半なんですね。
灼熱の本州とは10度以上も違うのですから、別世界でしょうね~
7日は円山競技場で「スプリントトライアスロン」ですね。
体調も良いとのこと、爽やかな札幌でベスト更新目指して頑張って下さいね
夢の島での結果はタイム(11.66)こそ大したことはありませんが、次に繋がる良い走りでした。フィーリングは大切にしたいです。しかし尋常でないくらいハイレベルな試合でした
決勝に残ったのは予選で10.64以上出した選手で、一番速い人は10.47でした。ああ、日本選手権の予選並みでした 

来週は北海道に行ってきます
しかしながらヴィクトリーを飲んでいたからこそ高温多湿の環境を乗り切ることができました
「ヴィクトリー」がお役に立てて良かったです
明日から北海道ですね。頑張って下さい!!!
さすらいの韋駄天さん
いつも温かいコメントをありがとうございます。
まさに、陸上とともにある人生ですね。
色々なことを乗り越えて、今の「さすらいの韋駄天」さんの芯の強さ、行動力、そして優しさに結実しているのだなあと思いました
ところで、今日の東京での試合、いかがでしたか?
疲れが出ないよう、しっかり身体を休めて下さいね。
僕が陸上を始めたのは中学1年からです。
ひと息で全力疾走する短距離種目に快感を覚えてから早16年。
当時13歳だった僕は100mを13秒中盤で走るのがやっと。でも試合を走り終えた後は嫌なことを全て忘れるくらいの(なんというか生まれ変わったような)解放感がありました。
常に自分自身に自分たるものの意味を問い続け、あるかどうかもわからない可能性を信じて、大切な人を亡くした悲しみさえ乗り越え、今も走り続けています。だからどんどん競技に対する行動力が増していき、M&Kの選手をはじめ日本代表クラスの選手や関係者の方との出会うことができました。
今までどれだけ自分が成長できたか計れる物差しを僕自身は持っていませんが、とにかく陸上最高です!!